祇園祭の山鉾(2008年の巡行順)

説明は、配布されていたパンフレットやWEBサイトを参考にさせて頂きました。
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01 長刀鉾
(なぎなたぼこ)
祇園祭の山鉾巡行の順番は毎年くじ引きで決めますが、この長刀鉾は「くじ取らず」として毎年必ず巡行の先頭を行きます。宵山でも一番人気でいつも混雑します。
また、今では「生稚児」(いきちご)という生身の稚児が乗るのはこの鉾だけで、他の鉾は「稚児人形」が乗ります。宵山の日の昼間は一般客も鉾に上がれますが、この鉾だけ(?)は女人禁制なので女性は上がれません。
02 孟宗山
(もうそうやま)
中国の「二十四孝」の説話で孟宗が雪の竹藪の中、病気の母のために筍を探して掘り当てたという話にもとづいています。そのため、夏の盛りのお祭りですが、雪をあらわす白い綿(?)が見られます。
なお、山の上のご神体ですが、以降のものも含めてほとんど進行方向左側を向いています。今回のような晴れたときは順光になる道の右側から撮ると残念ながら顔がよく見えません。
03 油天神山
(あぶらてんじんやま)
「風早家」に祀られていた天神像を勧請(かんじょう 国語辞典によると「神仏の分霊を他の場所に移しまつること」)して作られた山。油小路通にあることから「油天神山」と呼ばれています。
04 保昌山
(ほうしょうやま)
丹後の守平井保昌と和泉式部の恋物語に題材を得ており、保昌が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしていす。明治初期まで「花盗人山」と呼ばれていました。
05 函谷鉾
(かんこぼこ)
中国の戦国時代、斉の孟嘗君が秦の国を逃れ、函谷関の関所に着いたとき、鶏の声で開く決まりになっている門を通るため家来に鳴き声を真似させたところ、本物の鶏が鳴いて通り抜けられた、という故事にちなんでいます。
巡行の幟にも「かんこくほこ」とルビがありますが、地元では皆さん「かんこぼこ」です。
06 太子山
(たいしやま)
聖徳太子を祀る山。四天王寺建立のため自ら山城の国の山に入って材料の木を求めたという話にもとづいています。他の山は上に立てる真木(しんぎ)が全て松ですが、この山だけは杉を立てます。
宵山のときに太子山のところに掲げられる赤い提灯がとても綺麗です。
07 四条傘鉾
(しじょうかさぼこ)
昭和60年に117年ぶりに復元され、巡行に復帰した鉾で、古い時代の型を残しています。昭和63年には滋賀県瀧樹神社のケンケト踊りを参考に踊りと囃子が再現されました。
08 占出山
(うらでやま)
神宮皇后が肥前国松浦川で鮎を釣って戦勝を祈ったという日本書紀の記述を題材とした山です。神宮皇后は安産の神として知られており、この山の巡行の順番が早い年はお産が軽いと言われているそうです。
09 鶏鉾
( にわとりぼこ)
中国古代の尭の時代、天下が治まり平和な時代であったため、訴訟があると打たれる太鼓は用が無くなって苔が生え、鶏が巣を作ったという故事にもとづいています。左の写真を見て頂くと鉾の後部の「見送」には西洋画のようなタペストリーが。これは16世紀のベルギー製です。
10 白楽天山
(はくらくてんやま)
中国唐の時代の有名な詩人白楽天と道林禅師が仏法について問答を交わしている様子をあらわしています。
11 霰天神山
(あられてんじんやま)
室町時代の永正年間、京都に大火があったとき、にわかに霰が降って火事が消えました。その時に霰とともに小さな天神像が降りてきたのを祀ったという故事にもとづく山です。
12 山伏山
(やまぶしやま)
昔、東山八坂の法観寺の塔が傾いたときに法力によってまっすぐに直したという浄蔵戸貴所が修験者として大峰山入りするときの姿をあらわしています。
13 月鉾
(つきほこ)
山鉾の中で最大、約12トンあるそうです。鉾頭に三日月、真木中ほどの「天王座」に月読命(つきよみのみこと)など月をモチーフにしています。左甚五郎の彫刻や飾り金具など装飾も最もすぐれていると言われています。狭い新町通で間近を通ったらきっとすごい迫力でしょうね。
14 芦刈山
(あしかりやま)
貧しさから妻と離別した老人がやがて妻との再会を果たすという物語、謡曲「芦刈」を題材とした山です。
15 綾傘鉾
(あやがさほこ)
昭和54年に巡行に復帰した鉾で、一見異様な風体の踊り手による「棒振り囃子」が独特です。
16 蟷螂山
(とうろうやま)
はじまりは南北朝時代といいますから14世紀。昭和56年に110年ぶりに巡行に参加するようになりました。「かまきり山」とも呼ばれ、唯一の「からくり山」、上に乗った蟷螂の首や羽根が動くと、沿道の観客から歓声が上がります。また、宵山のときは上のご神体が載っていない山が多いのですが、蟷螂山は宵山でも蟷螂が乗った姿が見られます。
17 菊水鉾
(きくすいぼこ)
町内に古くからあった「菊水井戸」から名付けられた鉾です。鉾頭には金色の菊花をつけ、稚児人形は中国魏の文帝の勅使が薬水を求めて山に入ったときに出会った菊慈童 (菊の露を飲んで700才まで生きた) です。この鉾は室町通まで帰るので、辻回しを合計5回行います。
18 木賊山
(とくさやま)
子供をさらわれた木賊刈りの翁が、のちに都の僧のはからいで再会を果たすという世阿弥の謡曲「木賊」を題材とした山です。
19 伯牙山
(はくがやま)
別名「琴破山」(ことわりやま)とも言い、中国の琴の名手伯牙が、親友の死によって自分の琴を本当に理解してくれる人がいなくなったとして琴の弦を断ったという故事にもとづいています。
20 郭巨山
(かっきょやま)
別名を「釜堀山」、貧しさから母を養うために子供を土に埋めようとしたら、黄金の釜を掘り当てて母親に孝をつくしたという中国の「二十四孝」の一人、郭巨の話にもとづきます。
21 放下鉾
(ほうかぼこ)
真木の「天王座」に放下僧の像を祀る鉾です。また鉾頭の飾りは日・月・星の光が下界を照らす形をあらわします。
22 岩戸山
(いわとやま)
天の岩戸の神話にもとづきます。内部には天照大神と手力雄命、屋根には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀っています。やや小ぶりな鉾ですがとても綺麗で、宵山の時に飾られる「ミニ岩戸山」もとてもよくできています。
23 船鉾
(ふねほこ)
神宮皇后をめぐる説話にもどつく鉾で、独特の船の形をしています。舳先の金色の鷁首(げきす)が目立ちます。個人的には一番好きな鉾で、今年の宵山では残念ながらビニールで覆われていましたが、灯りの灯された宵山が一番映えるように思います。
24 北観音山
(きたかんのんやま)
「上り観音」とも呼ばれ楊柳観音像と韋駄天立像を祀っています。巡行の時は見送の横から大きな柳の枝を差し出しています。巡行が終わって町内に戻った時には観客が競ってその枝をもらっていきます。
25 橋弁慶山
(はしべんけいやま)
謡曲「橋弁慶」を題材とした山で、五条大橋で対決する弁慶と牛若丸の姿をあらわしており、牛若丸の人形は足駄の金具1本で支えられています。
26 黒主山
(くろぬしやま)
謡曲「志賀」を題材としており、六歌仙の一人大伴黒主が桜の花を眺める姿をあらわしています。確かこの山だと思いますが、四条河原町の辻回しでは、身軽さを利して3回くらい回転して観客から拍手喝采をあびていました。
27 八幡山
(はちまんやま)
石清水八幡宮を勧請(かんじょう 国語辞典によると「神仏の分霊を他の場所に移しまつること」)した町内の八幡宮を祀ります。2007年の巡行のときは新町通に戻って地元の人に拍手で迎えられるところを見ることができました。
28 鈴鹿山
(すずかやま)
伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた鬼を退治した鈴鹿権現「瀬織津姫命」の伝説を題材としています。
29 役行者山
(えんのぎょうじゃやま)
修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者が葛城と大峰の間に石橋を架けるために一言主神に石を運ばせたという伝説によります。
30 鯉山
(こいやま)
龍門の滝をのぼった鯉は龍になるという中国の伝説をもとに、立身出世のいとぐちとなる「登龍門」を題材とした山です。
31 浄妙山
(じょうみょうやま)
平家物語の宇治川の合戦で、一番乗りしようとした三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を、一来法師が飛び越えて先陣をとるという場面。「悪しう候浄妙坊」と声をかけて飛び越えたことから「悪しう候山」とも呼ばれていました。宵山では室内に人形が飾られて間近に見ることができます。
32 南観音山
(みなみかんのんやま)
「上り観音」とも呼ばれ楊柳観音像と善財童子を祀っています。常に巡行の最後を行きます。北観音山同様に巡行のときには諸病を防ぐという柳の大枝をさしています。