(2011/01/15)

         
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昨年初めて行って、その迫力に圧倒された大磯の左義長に今年も行ってきました。残念ながら昨年以上にぱっとしないどんより曇り空で夕焼け空に立つ「サイト」の写真は撮れませんでしたが、夜になれば晴れも曇りもありません。夜空を焦がす炎に夢中でシャッターを切り続けました。
左義長に類する祭は各地で行われていますが、大磯の左義長は公式サイトに以下のように紹介されています。なお、日取りですが、原則は1月14日で、14日が土日で無い場合は第三土曜日と決まっているそうです。

大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエ、ドンドヤキなどとも呼ばれています。

由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、
夜が明けてしまい慌てて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは
困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまいました。これがセエトバレエ(左義長)の始まりと言われています。

祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物を浜辺に運んで9つの大きな
円錐型のサイトが作られ、日が暮れると9つのサイトに火が入れられます。

【左義長の名の由来】
左義長の名は、中国の仏教と道教の故事に基づいたものですが、大磯では明治時代後期に大磯に居を構えた
初代内閣総理大臣伊藤博文の側近によって使われ始めたという伝承があります。
昭和53年に「大磯の左義長」として、神奈川県無形民俗文化財に指定されたために、左義長の名称が一般に
普及したと思われます。平成9年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。


動画で見て頂くと一層の臨場感があると思います